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 改めて震災遺構について

2013年12月10日

だいぶ御無沙汰しております。m(_ _)m

11月中旬には長期で国内出張に行ってきた。
東京 東京 大阪 西宮 西宮 豊田 名古屋 東京 東京
最後の帰りに栃木におじゃましての8泊9日。
陳情要望に御礼表敬、イベント参加に企業誘致、
事業プレゼンに各種調整ミッション etc.の濃密な出張だったが、
これまでのこととこれからのこと、どれも欠かすことは出来ない。
奇しくも、初日の13日で就任3年目、折り返しを過ぎた。
また、先週はあの日から1000日という節目もあった。
あれから1000回の夜と1000回の日の出を迎えたこととなる。
年が明ければ間もなく三年、あの時小学校を卒業した子供たちが
間もなく高校受験を迎える、というのが流れた時の長さの現実であり、
その非常に重い現実を受け止めなくてはならない。
各復興事業も本格的な展開に入ったとはいえまだ序盤戦であり、
様々な関係主体の理解と協力を得ながら如何に文字通り
「一日も早く」
復興まちづくりを計画から用地・建物などの具体のものとして現出できるか、
これからが正念場である。


閑話休題。
過日報道されているが、震災遺構について記しておきたい。
いわゆる震災遺構(災害遺構)について、本町復興計画では
”町民の声を尊重しながら、その保存に努めます”
としている。
このたび、町の方針として、3つのうち
サプリメントビル=年明けに解体
江島共済会館=当該地の造成時期までは可能な限り存置し、以降は解体
女川交番=一部あるいは全部の保存を図りつつ、その在り方を今後協議
ということを表明させていただいた。
女川のみならず各地で遺構についての様々な議論があり、
また方針表明の直前には国からのこのことへの対応方針が出される中であった。
なお、私としては保存の場合は町単費になることを覚悟していたので、
復興庁から示された方針が本町の判断に影響を与えたものではなく、
たまたまタイミングが重なったものである。
このことをどう判断するかについては様々な判断要素があった。
まずは復興造成工事との関係である。
サプリメントビルと江島会館については漁港復旧と市街地造成工事との絡みがあり、
とりわけサプリメントビルは現在県が行っている女川漁港復旧工事の
当該地での工事着手が年明け後に迫り、移設か解体を判断しなければならなかった。
移設となると、倒壊ビルという大型の構造物を移動することとなり、
仮に動かしても、その場所も復旧工事が入るので
どんな形でももう一度移動させなければならない。
このことを含めて、もう一つの課題は建物自体の耐久性である。
動かしても状態が保全されるのか、ということである。
このことは江島会館には特に顕著で、横倒しとなった鉄骨造の建物であり、
塩害(津波をかぶっているので)による損傷の進行が3つの中で一番激しく、かつ脆い。
既に壁面をはじめ崩落し始めており、長期の保存には耐えられない状況である。
事前に保存可能性については検討しており、耐久性については
交番>サプリメント>>>>江島会館
というものであった。
ここに経費的な問題が加わることとなるが、そのことは二次的な問題であり、
復興事業との兼ね合いと建物の耐久性が主な判断基準である。
女川交番については早期復旧及び造成のエリアから1ブロック外れており、
時間的な余裕があることと耐久性が他の2つよりも高いと考えられる。
このような現実的なファクターから上記の判断をさせていただいた。

今回の判断をするに当たっては、まず女川中学校の生徒の声を聴いた。
中学生たちの将来への取り組みについての提言の中で、
彼らの「いのちの石碑プロジェクト」などの取り組みとともに
「震災遺構については保存してほしい」というものがあり、
昨冬に町と町議会に対しプレゼンテーションをされている。
学校にお邪魔し、私から尋ねたいこともあり生徒5名の意見を改めて聴かせてもらった。
私がまず尋ねたかったのが
遺すことで何を伝えていくのか
ということである。
彼らの考えは
「千年後の人たちが同じ悲しみに合わないようにあの時あったことを伝えていくために」
ということであった。
彼らが町民に対し行ったアンケートがある。このうち、
「遺してほしい、多くの人々に伝えていくためにも保存べきだ」
という意見は少数で、過半数は
「思い出すので解体してほしい、新しいまちにはいらない」
という回答だった。
それを踏まえたうえで彼らが出した結論は「保存」であった。
彼らも大半は被災したのであり、大切な人を失った生徒だって大勢いる。
そのうえでのみんなで出した結論。
将来を担う彼らが自分たちで考えて考えて出した結論。
「個人としては見たくない気持ちもある。それでも将来のために遺すべき」
という率直な意見も直接聴かせてもらった。
このことは相当重く受け止めさせてもらった。
それを受け止めつつ、
「何を伝えていくのか、伝えていくべきものは何なのか」
である。

保存については、本町の場合、主に二つの側面からの観点があったと考える。
一つ目には学術的観点。
三方向にそれぞれ押し波、引き波、巻き波で倒れ、
且つベタ基礎そのままやパイルごと引き抜かれて倒壊して残った建物は世界的に珍しく、
学術研究の材料としても有意である、というもの。
二つ目には津波災害の恐ろしさや悲しみの伝承。
これについては言うまでもない。
もし、これらについてそれをしっかり伝えようとするならば、
私は指一本触れるべきではない、と当初から考えている。
なぜならば、リアルであることが伝えようとすることの本質を真っ直ぐ伝えるのであり、
その場合は地盤沈下し大潮になれば浸水する当該地もそのまま保全すべきと考える。
手を加えることでそれをぼかしたくないからである。
そうでなくとも、という意見もあるだろうが、私としてはそのように考える。
これらの観点を踏まえつつ、私達が伝えていくべきものは何なのか、をずっと考えてきた。
そこで思い至ったことがある。
皆とともに新生まちづくりに取り組んできたことが大きいかもしれない。

あの日、私達はいつも当たり前だと思っていたものが
実は当たり前ではなかったことを思い知らされた。
そして、今も当たり前だったことの多くを私達は取り戻してはいない。
その当たり前を取り戻すために皆で歩んできた。
この復興まちづくりもいつかは完了し、その姿は100年200年と続くだろう。
将来の人々にとってその姿は当たり前のものになっているはず。
でも、その姿は当たり前だったものが失われた跡に築かれたものであり、
そして、私達が当たり前だと思っていた故郷の姿も、
実は先人が戦火や災害で失われた当たり前を取り戻すべく築いてきたものであった。
我々が伝えていくべきはそのことではないか?
将来の人々にとって当たり前の郷土の姿は多くの犠牲の上に築かれたものであること、
その当たり前の姿はいつ失われるかもわからないこと、
そして、失われたとしても、それを取り戻すために皆で立ち上がらなければならないこと。

郷土に生きる私達の想い
壊滅した郷土に生を灯す人の歩み
絶望から希望を紡ぎだすこと
決してあきらめないこと
郷土の人々の生きる強さ
何があっても負けるな

このことが伝えていくべきものの一つではないか?
それが女川らしい意思として後世に伝えるべきものではないか?
そう考えるようになった。

様々な記録とともに震災の恐怖や悲しみは伝えられていくだろう。
しかし、悲しみだけではないメッセージを伝えていくことも私達の役目である。
遺構について、そのような活かし方もあるはずであり、自分なりのイメージはある。
このような観点も交えながら、これから女川交番の遺構としての保存を考えていく。


最後に。
先日の女川中学校生徒による「いのちの石碑プロジェクト」の最初の除幕式が行われ、
報道を通じて全国に伝えられた。
1000年後の命を守るために自分達で行動し、
全国から物心共の支援を頂戴する中で最初の形が結実した。
本当に大した子供たちである。
このことを議論し活動してきた彼らは中学三年生。
今春には卒業であり、彼らの取り組みは後輩に引き継がれる。
式典の終了後、報道陣が生徒達にインタビューした。
「皆さんの取り組みが完結するのはいつだと思いますか?」
答えて曰く

「千年後の人々がこの石碑があることで命を失わなかった時が完結だと思います」

本当に、本当に大した子供たちである。

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投稿者 sudayoshi : 2013年12月10日 00:17