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 歩んできた道、歩んでいく道

2016年03月15日

「丸五年」という節目。
当日は本町においても追悼式を挙行し、皆で心ひとつに祈りを捧げた。
参列者は昨年より多く1100人ほどとなり、ご遺族の方々はもとより、
多くの町民や、ここまでの道のりに関わってくれてきた方々、
それぞれが様々に思いを重ねたと思う。

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写真は、あれから6年目に入った、3月12日の我が町の今の姿。
このエリアのオープン以降、この日ばかりでなく、
特にイベントを開催していなくとも週末を中心に大変多くの方々が
女川を訪れてくれており、本当にありがたいかぎりである。
「復興途上の女川を観る」ということもあるだろうが、何よりも
「テレビとかで観たけど、新しくなった今の女川って楽しそう」
というのが一番のきっかけなのかな、と
来訪された方のお話などを伺いながら感じることが多い。
一方、周りを見渡せば至るところが造成中で、
まだまだな再建途上の現状、5年を節目とし久しぶりに山ほど報道された
被災地復興の様々な現状がある。

二年ほど前、被災地ではないとあるまちで
地域再生に取り組まれている方に言われた言葉を覚えている。

「自分も生まれ故郷を何とかしたいと思って住民票を移し事業投資してまで
地域再建に取り組んでいるが、皆さんに対して不謹慎なのを承知で、
あえて言わせてくれ。正直、うらやましい」

地元の自治体は予算もなく、地域住民にも危機感がない、
or 危機感はあっても自分からは行動を起こさない。
それに比べて、まちが丸ごと失われたからこそであるものの、
国の予算でまちの姿もゼロから作れて、
地域の危機感が共有され、新たな町を創るために皆が力を注いでいる―

なぜこの言葉を覚えているかというと、ショッキングだったからではなく、
いつか誰かに言われるだろうと思っていた言葉だったから。
加えて言えば、もっと早い時期に誰かに言われると思っていた。
真剣に取り組まれている方だからこそ出てきた言葉だとも思う。


“節目”に前後し、あらゆるメディアがここ1年、
或いは5年間貯めてきたであろうものを、様々な形で取り上げた。
予算、事業規模、事業そのもの、被災者の声、復興の進捗、etc.
明と暗、またそれが何によってもたらされているのか、
掘り下げたものから断片的なものまで、視点は様々である。
現時点での総括なり測定というのは当然ながら必要で、
12日のNスペのようなものは現時点での総括や問題提起において
批判的な部分や指摘を含め非常によくまとめられていたと思う。
というのは、我々にしたところで 自分の自治体で行っていない
復興事業などについては情報や規模感がつかめないところがあり、
また、例えば5年間で26兆円という予算規模についてなど、
俯瞰的な全体像を捉えることが難しいからである。
造成費用等が高いことについても、「何故?」の部分が描かれていた。
(だからそれでいいんだ、と開き直るものではありません)
一方で、私自身が取材を受けたものや、我が町の復興状況について

Bという質問へ答えた内容がAという質問に答えたように、
カット&ペーストで編集されていたテレビ番組のインタビュー

新たに造成したある高台団地では既に区画の9割が売れており、
そこでは4つの売れ残り区画のうち2,3が並んでいるのだが、
それを写し「空き区画が目立ちます」と流された映像

私に質問した内容とは中身を変えてそれに答えたようにしてある
新聞記事

など、事実や現状を歪めるような伝え方をされているものもある。
記そうと思えばもっとあるがやめておく。
一つの事実に対する真実は、それを見る者の数だけあるのであり、
「結論決め打ちの企画に基づき、その企画を成立させる真実だけを
意図的に集めた記事や番組」
であったとしても、その一つひとつは、とりわけ被災者自身の声は
まぎれもなくそれぞれにとっての真実であることに違いないからである。
(但し、異なる事実をくっつけての捏造めいたものは論外です)
その、一つひとつの真実に対してはしっかりと向き合っていかなくてはならない。
そして、向き合う中から、全てに応えることはできないとしても、
それに対する道筋をなお示し、形にしていかなくてはならない。
多くの町民に未だ大変なご苦労をおかけしているのが現実だ。
多額の国費が投じられる以上、生活再建の場づくりや産業再建のみならず、
出来上がるまちが将来世代に対し引き継がれるものにしていかなくてはならず、
その分時間を要してきた部分もある。
結果、だいぶお待たせをしてきたが、いよいよ本当の意味での生活再建の場を
本格的にお届けできるフェーズを迎えた。
大変なご苦労をおかけしてきた分、
「待たされたけど、待った甲斐があった」
と思っていただける姿を、この地に皆の力で必ず実現せねばならない。


“節目”の日から一週間も経たない今日15日の新聞のテレビ欄。
少なくとも在京局の番組からは震災や復興という文字は
既に見受けられなくなった。
それも普通のことだろう。
就任後から言い続けてきたことがある。

風化していくのは世の常なのであり、
「忘れられる」「風化してしまう」と、誰かのせいにするのではなく、
「忘れられないように」していくのは当事者である私達自身だ

なぜならば、あの日より前は私達だって「忘れてきた側」だったと思うから。
自分たちが味わって、当事者になって、阪神淡路大震災に代表される
過去に起きた悲しみや困難、様々なことを学び直したのである。
痛みを知って初めて分かったことだってたくさんある。
だからこそ、我々は伝えていかなくてはならない。
あの日の悲しみ、その傷、教訓、それからの困難な道のり。
その道のりをどう歩んできたか、これからどう歩んでいくのか。
どこへ向かおうとして積み重ねてきたのか。
今の姿を、そして向かうべき未来の姿を。

上の写真にあるように、まだ通過点に過ぎない今ではあるけれど、
ここ女川の地を訪れ、今の女川の空気を共に吸い、感じ、
女川の再建に有形無形の力を与えてくれる数多の方々がいる。
住民ではなくとも、励ましたり、共に歩んでくれたり、
数多の方々が全国、更には世界にいることを私達は知っている。
一方、我々の郷土再建と新生が全国民の負担によってなされていることも
自覚している。
だからこそ、町政を預かって以来、腹を括って町民に言い続けてきた。

「今回の復興財源の多くは国費、即ち全国民の負担によって成り立つ。
 1000億なら@800円、2000億なら@1600円、赤ん坊から大先輩方、
 将来負担まで含めた公金=税で成り立つことを認識すべき。」

「生活再建の場づくりは最優先事項だが、宅地が出来れば復興、ではない。
 それらを通じて将来の責任世代が引き継げる郷土の新たな姿を
 創れるかが問われている。“今”だけを刹那的に捉えるのではなく、
 将来像を見据え“今”を乗り越えていくことが必要だ。」

「復興は町長や役場、議会がやるのでなく、
 当事者である私たち一人一人がなすものだ。
 自ら立ち上がる姿勢がなければ支援の手さえ離れていく」

「復興まちづくりが終わってからが本当の復興である」


復興とは何か?という質問をこれまで繰り返し受けてきた。
歩んできて思う。
具体的にやっていくことは生活再建や産業再生だが、
それらのすべてを通じたところにある今次復興の本質は

「復興という道のりを通じて新たな価値や地方の可能性を生み出すこと」

であり、それをこの地で示していくことが我々の責任であり使命である。
我が町の復興まちづくりは途上だが、
本当のスタートラインはまだまだ先にある。
この復興を、今を生きる被災した我々だけでなく、
将来の人々へも向けたものにしていくこと。
この意識を共有しながら、皆とともに引き続き前へと歩んでいく。


投稿者 sudayoshi : 2016年03月15日 22:18