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 スポーツからもらう色々な示唆

2018年08月23日

100回目の記念大会となった今年の夏の甲子園。
金足農業の大活躍もあり、非常に盛り上がりましたね~。
その金農のエース吉田君の多投・連投が
様々な議論も巻き起こした大会ともなりました。
色々な観点から色々な意見がありますが、
何かを解決しようとすれば何かに負担が出てしまうものでもあり。
安直な私案ですが、1・2回戦は間隔も空くし今まで通りやって、
(というのも、皆甲子園を目指してやってきてるわけですので)
三回戦から間隔をあけて各ドーム球場で分散開催(天候不問のため)、
決勝はもう一度甲子園、みたいな感じだと、
そもそもの議論の発端である投手の多投による酷使の回避をはじめ
球数制限等の投手登板制限による強豪私立有利化の抑止、
(強豪私立に戦力、特に投手が集中するため大会を戦いやすい)
大会日程長期化の回避、運営側の経費膨張の抑制、など、
課題対応によってもたらされる新たな課題への対策が
比較的バランスよくいきそうな気がしますが、これにしたところで、
参加校のチーム並びに応援その他の経費は確実に上がるだろうし、
全てが万事丸く収まる、という方策はなかなか無さそう。
いずれ、100回という大きな節目だったわけで、これを機会とし
これまで語られてきた課題やそれを踏まえての望ましい方向に
進んでいただきたいところです。

さて、話題の旬は過ぎましたが、こちらも盛り上がったW杯ロシア大会。
(今回の本題はこっちですw)
当方の優勝候補は、本命ドイツ、対抗フランスの順番。
ドイツは予選敗退したものの、予選2戦目スウェーデン戦終了間際の
クロースとロイスによるトリッキーなFKには痺れさせられたな~。
(たまたま女川湾釣り大会の開会式直前なのでライブで観れました!)
我らが日本代表については本当に夢を見させてもらいました!
ベルギー戦では2-0になったときに
「本当にベスト8に行けるかも…!」
とドキドキさせられ、ATでの高速カウンターを決められたときは
布団にそのまま卒倒するように倒れてしまい、
放心状態でしばらく起き上がれませんでした…。

さて、その日本代表、ハリルホジッチ監督の大会直前での更迭は、
示された解任理由も含めて、大会前には否定的・批判的な声が
かなり強かったように思う。
「予選仕様でなく本大会仕様のチームを目指していたはずなのに」
「親善試合は試す場であって、全てはハリルが予定していた過程でしょ?」
「世界基準より”日本らしいサッカー”ですか?」
メディアには精通する方々の否定的なコメント・記事が溢れていた。
これについて、単なる一サッカーファンに過ぎない私としては、
賛否、ということではどちらとも言い難いが、
「結果はともあれワクワクするサッカーをしてくれればそれでよし!」
という感想であった。
少なくともあの時点では予選突破の期待値が高かったかと言えば、
そうではなかったというのは否めなかったろうし、そもそも
ハリル体制下でのゲームでワクワクさせられることが少なかったから。
なら、ダメもとでも、予選敗退で終わったとしても、
ファンを感動させる、ワクワクさせるサッカーを見せてほしい、
結果は二の次でいいから、という一ファンの思いであった。
結果はご存知の通り、そんなことを通り越しての躍進を果たし、
感動を日本中、更には世界に与えてくれた。

改めて書くまでもないが、西野監督は就任後、選手に自由と裁量を
与えていたとされている。選手からの意見にも耳を傾け、というより
一緒になって考えた。
もちろん何でもかんでも自由に、ということでなく、
決めごとと必要な範囲での規律や枠組みを守ったうえで、
ということだろうとは思うが。
一方、ハリル体制下ではこれもご存知の通り、
選手のみでのミーティング禁止など、大変厳しい規律を課し、
意見すれば干されるかも、とまで選手が感じた超管理型。
その中で、縦への意識やデュエルなど、
世界の舞台で求められるであろう要素を徹底的に仕込んでいった。
以下は、結果が出て、その結果に対して言えることでもあり、
多くの方々は同様に感じていると思うが、今次大会の成果は、
やはり、ハリル体制で培われたものが西野体制下において
選手の自主性や自立性が生まれたことによって結果に結びついた、
といっていいだろう。
ハリル体制での、厳格さを前提としてそこで叩き込まれたものと、
それを土台とし、西野体制で自立的・自主的に組み上げたもの、
いいかれれば、受動的で義務的だったものから、
そこで培われたものをベースとした能動的で主体的な体質への転換。
またそれを促したマネジメント(これも結果論と言えばそれまでだが)。

実は、これに近いものを以前目の当たりにしている。
以前、と言っても、遠く31年前の中学生時代の話。
もちろん日本代表に列する皆さんは
我々一般人では想像もつかないレベルで自ら望んで自らを追い込み、
そして自らの力で道を切り拓いてきた方々ばかりであるから、
並べるのは失礼かもと思いつつ、思い起こしつつ書いてみる。
県内ではミニバス・中学の部活と、女子バスケで知られる我が町。
(ちなみに男子もなかなか強かったんですよ!)
当時も女川第一中学校(現女川中)は強豪校で第二期黄金期。
女子は連続して県大会優勝を成していた。
私の同級生世代も県内では敵無しで、県新人戦では優勝、
来る最後の本大会も当然ながら本命視されていた。
当時の顧問・監督の先生は県内バスケ界では誰もが知る、
今をもってしても伝説的な指導者。
強い、ということは当然厳しい指導と練習が前提でもある。
なお、男バスの我々も厳しい指導のもと練習に励んだ。
(時代的に、”厳しい”ということは色んな意味でもありますw)
そうして鍛えられたチームは県内無敗となったが、
三年になるとき、顧問・監督の先生が転勤となった。
(なお、転勤先の別競技の部活でも県優勝させてますw)
その後の顧問の先生は、前年から赴任し監督を補佐していたが
スポーツは得意だけどバスケ経験者ではない先生。
それでも、これまでの実績と積み重ねから優勝しか想像できなかった。
そうして始まった最後の大会、順調に勝ち進んだ決勝戦。
相手は新人戦決勝ではっきりした差で退けた相手。
その相手に追いつけず、まさかの敗戦。
あの時の試合風景、そして試合終了の瞬間は今でも覚えている。
でも、そこからそれほど間をおかずに行われた東北大会にて、
同じ相手にリベンジして優勝。ここまではありそうな話だが、
なんと全国大会にて3位となる偉業を成し遂げた。
顧問の先生も色んな意味でプレッシャーがあっただったろうし、
選手たちもこのままでは終われない、という思いが強かったはず。
それが、限られた期間の中で自分たちで考え自分たちで行動し、
という体質への転換を生み、先生はそれを重んじながらチームをまとめ、
殻を破って進化を果たしたのだろう。
(なおこの先生は、男女や各世代を問わず、今も皆から慕われています
&先日当方を訪ねていらしたのだが、あいかわらずめんこいままでしたw)
この大躍進にしたって、その土台となったのは紛れもなく
厳しい前監督の下で培われた基礎能力と精神であり、
これがなければ大躍進がなかったであろうことは言うまでもない。

単純に管理・規律重視と自主性重視のどちらがいいか、というのではない。
そもそもそれは目的や目標に対しての方法論だし、
局面によっても変わる、ということでもある。
両事例とも、自主性>管理・規律に見えるけども、
自主性重視が”やりたいことだけやってりゃいい”になれば
組織としては成り立たないわけで、一定の規律は不可欠だし、
それを全員が共有しておくことも大事。
そして、どちらだとしても、個と組織立ての調和や融合が肝となる。
その前提となる個のスキルや能力をどう高めていくか、
決めごとやルーチンも徹底しながらどう自主性も織り込んでいくか、
またその目標設定とそこに向かうマネジメントが適切にできるかどうか―。
こういった、一般的な組織の在り方についてもいろんな示唆を与えてくれる、
ワクワク以上の日本代表の活躍でありました。

以上、話題の旬は過ぎましたが色々と思い出しながら。

投稿者 sudayoshi : 2018年08月23日 23:15