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 ”いい町””いい街””いいまち”にしていくために

2019年11月21日

毎度おひさです m(_ _)m

先週より町民より託されました三度目の任期が始まり、
すぐさま出張続きの日々。
一昨日は初議会を迎えました。
当選された議員各位にあらためて祝意を申し上げます。m(_ _)m
初当選の方も全体の1/3となり、新議長誕生をはじめ
人事も含め新たな議会の体制となりました。
議論と連携を深めつつ、私自身もこの新たな任期を
これまで同様、それ以上にしっかり臨んでいきます。

失われた郷土の再建を、共に歩んでくれる皆さんと果たす、
というこれまでの二期8年でしたが、
現在においても残された復興事業を推進する一方、
フェーズとしては明らかに“復興後“へとシフトしているわけで、
先の目標へ向けて足元を見つめつつもひたすら進む、というこれまでから、
ぐるっと見回しつつあるべき方向を選択していく、という
落ち着いた視点も重要になります。
もとより、被災者や被災事業者の再建を第一義の最優先課題としつつ、
それを通じて地方社会の課題に向き合い対応できるまちをつくる、
復興のプロセスを通じて地方社会の可能性や新たな価値を生み出す、
ということが本町復興の意義と使命、
と様々な場面でこれまでもお話ししてきたところであり、
その意味では、これまでの取り組みと方向性が
本当の意味で試されるのがこれから、ということになります。

三期目の初日、職員に対し任期初日の訓示を行いました。
色々と話しましたが、そのなかで職員にも一緒に考えてほしい、
一つの投げ掛けをしました。
それは

“いい町““いい街““いいまち“ってなんだろう?
(ここで町と街とまちの違いは問いません)

ということです。
これは、もしかすると人の数だけ答えがあるのかもしれません。
仮に、この定義を、
交通の便がよく
いつでもかかれる大病院がそばにあって
これまたすぐそばに大きなスーパーやショッピングセンターがある
という利便性に重きを置いたものとしてみたとするならば、
我が町を含めた地方小都市は全て
“ダメな町“
ということになり、おそらくこの定義でのいい町には永遠になれません。
もちろん、こういったこと(こういったことに注力すること)を
放棄する、ということではありませんし、
本町に限らずこのような声や要望は常にあるわけで、
可能な限りでは取り組んでいくことにはなりますが、
都市部のそれと同じようにしたとしても持続性のない無理ゲーで
破綻一直線となります。
(例えば交通であれば自動運転などのイノベーションがあれば別です)
そもそも、そんなんじゃなくても“いい町“は沢山ありますし、
本町においても、色んな声は当然ありますが、内外から
“いい町“と言っていただくことの方が多いところです。
(だからといって安穏としてはいけないのですが)
しからば、“いい町““いい街““いいまち“とは何なのか?

地域包括ケアの理念というものがあります。
それは
地域に住む高齢者が住み慣れた地域で自分らしく安心して暮らしていける
というものです。
(なお、ここで言う“自分らしく“というのは、
日常における制約の程度で、
一番制約されていない状態が“自宅で健康に過ごすこと“、
逆に制約されている状態が“入院等で移動も食事等も制限される状態“
と解説されます)
このことは高齢者福祉の観点にとどまらず、
まちづくりや地域づくりそのものにも言えることだと考えます。
“住み慣れた地域で自分らしく安心して暮らしていける“
というのは、つまりは(公序良俗に反しない、という前提で)
そこで自由に(というか思うように)生きていける、ということであり、
住む人にとってそのような舞台装置になっていることが
“いいまち“であるかどうか、の一つの条件になるでしょう。
加えて言うと、本町でも“昔の街がよかった“という声は少なからずあります。
では、震災前を振り返ってみたときに、
以前は利便性が高く使いやすい街だったか、と言えば、
決してそうは言えないところもあります。
今後スーパーも再開し、震災後の不便さも一定以上に解消されます。
それでも、前記のような声は出ると思われます。
利便性や機能が高まっても“いい街“と感じられるかは
また別の問題、ということでしょう。
しからば、なぜ以前の街が“いい街“だったと思うのか?
それはおそらく、(普通に田舎街として)不便で機能性が低くても
“自分らしく“暮らした日常の記憶が密接に結び付いているから、
ではないでしょうか。

ここであらためて考えます。
“いい町““いい街““いいまち“とは何か。
物理的にも機能的にも、“自分らしく暮らす“ことが出来る場があること、
そのような在り方がその地域社会に根付いていること、
このことが大切なのではないかと考えます。
また、その在り方はそこに関わる皆で作っていくことが重要です。
なぜなら、その“自分らしい“暮らしは自分にしか作れないし、
その選択をしていくのも自分自身でしかないからです。
だからこそ、そのような在り方が現実となるよう、
行政・民間などそれぞれの主体がそれぞれに自らの強みを発揮し、
それぞれに役割を果たすよう地域社会に関わっていく必要があります。
また、それ自体が“自分らしい“暮らしを実現するプロセスでもあります。
「公と民が連携して復興を果たした事例」と本町は取り上げられますが、
そのような関わり方がより広く展開できれば、より多くの人々にとって
“いい町““いい街““いいまち“
に女川はなっていけるはずですし、していかなくてはなりません。
また、それにあたっては町を外に開いていくこと、
それによって結果として内の満足度を高めていくことが求められます。
まあ、当然のこととして、町の取り組みは基本的に且つ第一義的には
住民≒町民に向けられるしその対象となるわけで、
ここで言っているのはその意識の向け方、ということです。
町は今現在そこに住む人達のものであるかもしれませんが、
その人達”だけの”もの、でもありません。
住んでなくても日常活動の場が女川だという人も数多くいますし、
今は存在していないこれからこの地に生まれてくる世代だっています。
例えば、意識の向け先を今を生きる町民・住民”だけ”にしてしまえば
内向きで発展性や可能性を削ぐでしょうし、
かといって住民が“いいまち“と思えないまちが
外の人にとって“いいまち“と感じれるかは難しいわけで、
だからこそ内に向けた取り組みだとしても外に開く意識を持ちつつ、
その成果や果実が内に還ってくるサイクルや在り方を目指さねばなりません。
そうであってこそ、近視眼的でない、本当の意味で町民にとっての
”いい町””いい街””いいまち”
となると考えます。

長々と記しましたが、これからが肝心。
「女川に生まれてよかった」
「女川に住んでよかった」
「女川に暮らしてよかった」
「女川を知れてよかった」
「女川と繋がれてよかった」
そんな一人ひとりにとっての”いい町””いい街””いいまち”を
皆さんとともに創れるよう、引き続き精進してまいります。
今後もよろしくお願い申し上げます!


投稿者 sudayoshi : 2019年11月21日 23:41